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ユニホーム(ユニフォーム)の歴史

突然ですが、「ユニホーム(ユニフォーム)」の数だけ歴史も存在するのでしょうか。

皆さんも「ユニホーム(ユニフォーム)」が、その時代ごとに変化してきたことは容易に推察されることかと思います。もちろん、当時人々がそれを「ユニホーム(ユニフォーム)」と呼び、それと認識していたかは、別の話ですが。おそらく「ユニホーム(ユニフォーム)」によってその変化や流れは異なるでしょう。特に、「スボーツユニホーム(ユニフォーム)」や「競技用ユニホーム(ユニフォーム)」では、国対国という構図も発生するため、その歴史はおのおのに深いものになっています。



ユニホーム(ユニフォーム)の起源

ユニホーム(ユニフォーム)の起源といってもユニホーム(ユニフォーム)の種類によってそれは、様々。

例えば、「ブレザー」の起源として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、1837年、英海軍の軍艦ブレザー号(HMS Blazer)が当時の女王ヴィクトリアの観閲を受ける際に、ブレザー号の乗組員全員がネービーブルーのダブルのスーツで揃えて観閲に臨み、これを見た他の艦でも、揃いのユニホーム(ユニフォーム)として採用し始めたのがダブルブレザーの起源として記されています。 一方1877年頃、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学の対抗レガッタにおいて、ケンブリッジ大学のボート部がユニフォームとして燃えるような(Blazer)真紅のユニホーム(ユニフォーム)として採用したのが、シングルのブレザーの起源とされています。

また、「野球のユニホーム(ユニフォーム)」の起源は、南北戦争時の軍服であるという説が一説としてあるそうです。

しかし、「スポーツユニホーム(ユニフォーム)」に関しては、それぞれのチームや国によってまたその起源が異なるため、「サッカーユニホーム(ユニフォーム)」と言っても、起源の明確な定義は難しいようです。

 

 

 

ユニホーム(ユニフォーム)と時代背景

時代と「ユニホーム(ユニフォーム)」の相関関係に関して、軍服をもとに見てみましょう。

軍服は、戦うための「ユニホーム(ユニフォーム)」ですから、各国との争いの中で、様々な影響・変化が起こってきます。色も、戦場において、部隊を識別するために複数色使い分けられていたり、礼服や勤務服といったように、複数の「ユニホーム(ユニフォーム)」が存在していました。また、位によって「ユニホーム(ユニフォーム)」の形状も異なりました。おそらく「ユニホーム(ユニフォーム)」は権威を示す指標としての役割を担っていたのでしょう。このように軍服に限らずとも、「ユニホーム(ユニフォーム)」に何らかの意味を持たせている点は、非常に興味深い部分であり、現在もその傾向が感じられるような気がします。

スボーツユニホーム(ユニフォーム)」や「事務服」、そして「作業着」において、軍服のような時代背景はないにしろ、当時の主要労働や、競技のルール制定・改正など、その時代の変化によって「ユニホーム(ユニフォーム)」も変化していくというのが自然な考え方かもしれません。

ユニホーム(ユニフォーム)と人々

日本において、洋服と呼ばれるものが普及したのは、大正時代の頃。女性は職業婦人の進出で、洋装の制服、「事務服」の着用が普及しました。

日本に、サッカーがやってきたのは、明治時代(19世紀)の頃と言われていますが、この説を支持するならば、日本において「サッカーユニフォーム」が普及したのは明治以降ということになるのでしょうか。野球に関しては、正岡子規が日本での野球の普及に貢献したという説もあり、「野球ユニフォーム」の広がりもやはり明治時代以降という考え方ができるわけです。そして、「バレーボール」ですが、驚くべきことに日本に「バレーボール」が紹介されたのは1910年頃。これもまた明治時代のことなのです。

サッカーユニフォーム」「野球ユニフォーム」「バレーボールユニフォーム」いずれも、競技者に普及するようになったのは、明治時代から、ということが1つの考え方としてできるのかもしれません。

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